熱中
子供のころは一つに集中できた。
今、「Civilization6」攻略界隈で起こっていることが物凄い: 不倒城
それは集中できるっていう環境と、先のことは気にしなくてよい安心感で生み出されていたと思う。
人は甘えというが、親や大人への安心感があってこそ、そういう時間が作れていた。
社会人になってから思うのは、安心感が全くない。
集中できるタイミングが一ミリも見つからず、常に疲れを感じる。
達成感なんて一瞬で過ぎ去り、次への不安しか出てこない。
生きるという意味では必要ないのが何かに熱中することだと思う。
ただ、人間的、文化的に生きるためには何かに熱中できる余裕があるほうが、
今後の社会に大きな利益をもたらすのではないのだろうか?