いじめる側の心理
いじめられる側の心理は自分自身の経験上痛いほどわかる。
いじめる側の心理を考察の前に、思ったことを羅列していく。
・まったく気にしていない
・人の気持ち、痛みがわからない
・自分が言われて、やられて平気なことだから、何も感じない
・いじめだと思っていない
・わかっていてもやめられない
・ストレスの受け流し
・反抗できないよう、立場を理由にしている
・相手のことを思っての愛の鞭だと認識している
・生理的に受け付けない
・相手が理解できないので、気持ち悪い
・自分が常に正しいと思っている
。。。etc
「共感」が大きな要因なのではないか?
最近わかってきたことだが、
いじめる側の人間は
共感能力がない人間なのだと思っていたのだが、
最近、家庭を持ち、子供を作った方でも
平気で心無い言葉を言えるのだから、
「共感能力がない」ではなく
「自分の家族友知人を除く他人に対し、共感能力がない」
のではないかと考えている。
学校でのいじめっ子も自分のグループには共感をしていた。
いじめの関係性はどちらも「未知」という恐怖の感情から出ているのではないか。
コミュ障である私がいじめられる側なのは納得である。
大人になっていく際に自己防衛のため、敵=いじめる側を研究し、
思考にある程度当たりがつくようになったので
未知への恐怖がなくなり、むしろ無関心になってきている。
だが、いじめる側はいじめられる側の心理、思考が理解できない方が多く、
昔のように噛みついてくるのが社会だと感じている。
私は人は他人に対して抱く感情パターンがあり、
・好意
・嫌悪
・無関心
この三つだと考えている。
社会では
いじめる側の人間は、なぜかこの無関心に反応するらしい。
とても面白い。鼻持ちならない、癪に障るというやつなのだろうか?
観察を続けていきたい。