親
ドまじめ、正直に、徒然なるままに書こう。
先日、兄貴、親から電話やらラインやらが入っていた。
母親が腎臓にピンポン玉の影がある。
等の遠回しにもうそろそろ親はヤバいよ?アピールだ。
大学生時代+α実家に帰っていた私が、
一年以上帰ってないことが異常らしく、年末前を狙っての連絡だった。
正直にいうと、とても気持ちが悪い。
親子の情があるだろ、とか、親孝行?は今のうちにしかできない。
など批判的に思われるかもしれない。
だが、もう一度言う。気持ち悪い。
情に訴えるこの手法がとても卑怯だと感じてしまう。
昔から私に好きにしてよいと言い、外ずらだけよくしておきながら、
実際好きにすると批判修正してきたやつらだ。
実家はど田舎で、かつ若い人も都会に憧れつつも老害の言いなりになり、
地域での安定におさまり実家で暮らすことが多い地域だ。
周りには面倒見てくれる子供、心配してくれる子供もいるので、
単にうらやましいのではないか。
そんな風に勘ぐってしまう。
私の好きなこと、したくないことの意見を無視し、
自分たちのコミュニティの維持を優先し、好きなようにしてきたやつらに
従ってしまう自分が情けない。
いままで、親の望むままの姿を少しづつ曲解し生きてきた。
親:普通科高校にいき、地元の国立大学にいき、地元安定職(公務員)につきなさい
私:工業系高校に行き、早く機械系の現実を知り、大学か、就職かを選択したい
結果:普通科高校に行くが、大学は県外の工業系大学に進学。
機械系の現実を知ったときは大学院生だった。
軌道修正できず、安定した大企業に就職。
現在疑問を持ちながら、やりがいを感じない仕事を行っている。
普通科高校の三年は人生の無駄遣いだった。何も得るものがなかったと胸を張って言える。あれだったら、専門系に進み、自分の得手不得手を理解する時間にあてたかった。
と過去のことを愚痴っても仕方ない。
今後の親との付き合い方を年末に清算するために、つらつら書いてきた。
長男が役割を行うのか不明だが、今後の家族の役割を明確にし、
このもやもやした洗脳状態を脱したい。
漠然と、親が死んでから、今の親を安心させるための姿を取っ払い
自由になれると思っていたが、案外しぶとい。
父親、兄貴と人生の転換期だった年齢になったこともあり、
今年を節目として決着をつけてくる。
まだ二十代後半だけど、サラダでワインを飲むのが好きになってきた
ほろ酔いアマチュア独身男子でした。